ビジネスコミュニケーションを向上させる連載小説 |
■□■□ 第一部 ■□■□ |
1 プロローグ |
望月和弘は朝から数えて4回目の会議に参加しながら、辟易としていた。4回目の会議は始まって1時間ほど経ったが、少なくともあと1時間はかかるだろう。会議室の置き時計に目をやると午後6時30分を回ったところだ。望月は心のなかで「あーあ、今日も一日が終わってしまう。」とつぶやいていた。 望月和弘が第2営業部の部長に着任してから6ヶ月が経った。17年前新任課長代理で着任した時は総勢13名だった部も、今回新任部長として着任した時には、130名の大所帯になっていた。この間、会社は急成長をとげ2部上場、1部上場を実現した。現在では業界でも屈指の大会社である。 古巣の部に戻るということもあって、辞令を受取ったときは、多少の不安もあったが、体中にやる気がみなぎって来る感覚を望月和弘は経験した。しかし、着任して6ヶ月が経った時点において、やる気と不安は逆転してしまったようだ。 着任早々、得意先へのあいさつ回りに2ヶ月の時間を要してしまった。2ヶ月の時間を要したのには訳があった。1社あたりの滞在時間が予想に反して長くなったためであった。単なる着任あいさつで終わるケースは稀で、ほとんどの会社で各案件の具体策を話し合うはめとなってしまった。主要取引先を毎日回って1ヶ月で50社を過ぎた頃には、もうヘトヘトになっていた。好きな酒にも、自然と足が遠のき、疲れに拍車がかかってしまったようだ。 景気が悪いせいもあり、各社とも、すがる思いで望月和弘に様々な問題点や、要望を嵐のように持ち掛けてきた。無理難題の山が日1日と高くなるのが良くわかった。 部長昇格を喜んでいられたのは、多分数日だった。得意先を回って、部の問題点が鮮明になり、あれもこれもやらねばと頭はフル回転の状態となった。2ヶ月をかけて、得意先回りが一段落し、「さあ、対策を取るゾ!」と意気込んだ瞬間、思わぬ事件が生じてしまった。直属の上司、担当役員である常務が、株主総会で専務に昇格したのはよかったが、担当役員からはずれ、望月の部は副社長直属ということになってしまった。昇格した専務は望月和弘が課長代理時代の直属の部長で、部の仕事には精通していたし、何よりもかつての上司・部下とういうこともあり、信頼関係もあった。しかし、副社長は銀行の出身で、望月和弘が大阪支店時代に入社して来たこともあり、ほとんど面識もなかった。 株主総会後の1ヶ月は、副社長への状況報告、説明であっという間に過ぎてしまった。望月和弘の部は、会社の中でも、利益を出している数少ない部である。しかも、会社の利益の大半を出している部である。しかし、このままでは、来年度は利益を出せる見込みが現時点ではまるっきりなかった。このことは会社が赤字転落することに直結していた。「何か効果的な具体策をとらねば…」と気はあせっても、なかなか本題に入れない。もどかしい日々が3ヶ月も続いてしまった。 野球のペナントレースではないが、完全にスタートダッシュにつまづいてしまった。こうなってからでは、全てのことが後手後手となり、不必要に仕事が増えるから不思議である。4ヶ月目以降、望月和弘はファイヤーマンと化してしまった。こちらの課で問題が生じれば対策をとり、あちらの課で相談があれば打合わせをし、むこうの課で、やめたい社員がでれば説得し、突然電話が入る得意先からのクレームに対応し、経営会議の前には副社長のレクチャーと仕事をする内に、あっという間に6ヶ月という貴重な時が過ぎていた。 部長会に参加しながら、望月和弘は「このままでは、自分がつぶれてしまう。そして何よりも来年度は赤字転落だ。このままではダメだ。何か新しいことをはじめよう。」と決意を新たにした。 |
■□■□ 第二部 〜実践編〜 ■□■□ |
1 自分の意見をまとめる |
営業課のフロアの一角、窓際のソファでは、課長と部下の課員とがテーブルを挟んで話し込んでいる。2人とも、難しそうな顔をしているのだが―― 「君がしょっちゅう営業に行ってる例のAさんの件だけどね、報告を今日、聞くことになってたよね。契約が取れていないっていうのは知ってるけど、君の考えはどう?」 「一生懸命やっているつもりなんですけどね、なかなか……。もちろん、自分なりに、やれることは全部やっているんですよ。」 そういいながら手帳を取りだし、今までの経緯を確認しながら、説明を始めた。 「2ヶ月もフォローして、もう6回も会ってるし、商品の説明は詳しく話しているつもりだし。でも、いつもあんまり時間がとれなくて。それも、しようがないんですよね。Aさんも忙しい人ですからね…。そうかといって、Bさんに紹介された人ですからね、顔をたてるためにも、ほっとくわけにもいかないし。契約してくれたら、いいお得意さんになると思うんですよね。それにAさんも僕の話は耳を傾けてくれてるし。ただ、なかなか予定が」 「ちょっと待った」 あわてて課長が課員を制した。 「君ねぇ、そうズラズラと言葉を並べないで、もっと整理して話してくれないかなあ。何言ってんだかわかんないよ。君はAさんの件について、どう思ってるの」 「見込みはあると思うんですが、でもなかなかじっくり話ができなくて、僕もいつもそれが気になってて…」 「だから一言でいえばどうなんだ!」 もう一度、課員を制した課長も、今度はやや声が大きくなってきた。 「どうって、その〜、忙しくて、なかなか会えないっていうか……、でも都合をつけて会ってくれるし、だから買ってくれるつもりはあると思うんですが、まあそれも確かではないけど、でも意欲がなかったら、会ってくれないでしょうし。う〜ん、一言で言えばっていっても」 「それじゃあ、契約につながるポイントは何?」 「ポイントは…、やっぱりフォローを続けて、商品の説明をして…」 「じゃあ、いつごろ契約できる?」 「今まで、2ヶ月もフォローしてきたから、あと1ヶ月…、いや3ヶ月かもしれないですけど」 「君ねえ、一度頭の中を整理してみたらどうだい」 「整理、ですか」 「そう、整理だよ。まず君の脳みそを解剖してみようか。紙とペンをだして」 「はあ……」 何のことかわからん、という顔で課員が紙を広げると、その中央に課長は"見込み客Aさん"というキーワードをひとつ、書き込んだ。 「さて、このキーワードをみて、真っ先に連想する言葉は何だ」 「多忙、ですかね」 今度は、多忙というキーワードが書き込まれた。 「それじゃあ,"多忙"というキーワードから連想する言葉は?」 「なかなか詰まらない、ですね」 しばらく2人でそんなやり取りを繰り返し、やがて紙一面にキーワードが書き込まれたところで、ようやく課長が説明を始めた。 「これはブレイン・マップといってね、まぁいってみれば君の脳みその解剖図だよ。今、君の頭の中には、こういったキーワードが氾濫していて、それが整理されていない状態なんだ。整理されていないから、ただ闇雲にキーワードを引っ張り出してくるだけで、筋道の通った話がちっともできていない。わかるかい」 「なるほど、なるほど」 「じゃあ次に、このキーワードを整理してみろよ」 「どうするんですか」 「"多忙"とか、"なかなか詰まらない""十分話せない"というのは、全部同じような意味合いだろう。これをなかなか会えないというキーワードで代表するんだ。で、いらないキーワードを消してしまう。これだけでも随分すっきりするだろう」 「そうですね。それなら、"感触つかめず"とか"動機不明"なんていうのは、"購入意欲不明"ということで…」 話がすっかり飲み込めた課員が自分で整理していくのを、課長は満足そうに眺めているだけ―― 「課長、どうやら4つのキーワードに整理できましたよ」 「で、君はそれをみて、どう思うんだ。一言でいってみろよ」 「そうですねぇ。そろそろ結論を出したいなっていうことですね」 「できたじゃないか。それだよ、それ。そろそろ結論を出したい、それが君の考えだよ」 明るい顔でうなずく課員に向かって、課長が続けていった。 「さぁ、最初からやりなおそうじゃないか。Aさんの件について、一言でいえば、君の考えはどうだい」 「一言でいって、そろそろ結論を出したいと思っています。それというのも…」 |
■□■□ 第三部 〜理論編〜 ■□■□ |
1 マネジメントモデルの考え方 |
マネジメントモデルは、情報伝達(コミュニケーション)と仕事の進め方(BOS)の知識、専門知識の3つで成り立っている。さまざまな業務を遂行するときに、この3つの要素がどのようにかかわってくるのかを理解するために、図のような3層構造のピラミッドをイメージしてもらいたい。この本の読者が社長であろうが、新人社員であろうが、どんな職種の人であろうとも、3層構造のピラミッドのイメージは誰の仕事であっても普遍的なものである。 情報伝達環境とBOSの知識とは、すべての社員で共有化できるものであるが、その上に乗る専門知識は、それぞれの社員が担当する仕事の内容によって異なるものである。コンピュータシステムにおけるOS(基本ソフト)とアプリケーションの関係に似ている。コンピュータを特定の目的のために利用するときに、まずコンピュータを作動させるOSが必要であり、さらに用途に応じてアプリケーションを使い分けなければいけないように、社員が効率的に動くためには情報伝達環境とBOSの知識が必要であり、それぞれの社員が担当の仕事をするためには、担当分野の専門知識が必要となる。 ピラミッドのイメージからもわかるように、業務を遂行するうえで情報伝達環境は基礎となる要素である。たとえ多くの優秀な社員を揃え、1人1人が専門知識とBOSの知識を修得していても、円滑な情報伝達が可能となる環境が整っていなければ、業務を効率的に遂行することは、社内の全般において不可能である。社員の能力を100%活用するためには、まず情報伝達環境を整備することから始めるべきだと言えるだろう。つまり、世の経営指南書が社内の情報化を説くのも一理あるわけだ。もっとも、情報化で中間管理職は不要と説き、業務処理スキルやノウハウまで流出させてしまっては、功罪相半ばすることにはなるが…。 情報伝達環境を改善するためのサポートツールとしては、経営方針書や業務方針書などの書面、掲示板、連絡ノートなどの従来から使われている物の他に、昨今では社内LANなどの通信網を利用したEメール、ボイスメールなどがある。今や企業が生き延びていくためには、円滑な情報伝達が可能となる環境を実現できていることが最低条件となっている。 ピラミッドの中間層にあたるBOS知識はどんな仕事にもあてはまる進め方の知識であるから、これさえ修得していれば、どこの部署に配属されようと適応していけるだけの基本的な能力は持っているということになる。ただし、BOSの知識だけでは、高度なレベルの仕事をこなすことはできない。それは、その分野の専門知識の修得によって可能となる。BOSの知識を身につけ、業務の遂行に活用していくためのサポートツールとしては、「ザウルス」に代表されるPDA(携帯情報通信端末)やシステム手帳がある。PDAというと、情報伝達をサポートするツールとして考えられがちだが、そういう機能も備えてはいるものの、本来は業務処理をサポートするためのツールであると認識しておくべきものである。 ピラミッドの最後の仕上げが専門知識である。営業のノウハウや財務の知識といった、それぞれの分野に特有な知識、その企業のオリジナルのノウハウといったものである。専門知識は、それを個々の社員が修得しているかどうかで、それぞれの社員の仕事における処理レベルが決定されるほど、セルフマネジメントの重要な要素だが、同時に会社としても、どれだけの知識を確保しているかが収益の浮沈を握るほど、経営にとって重要な要素になっている。そして、最近は殊にその重要性が増している。次の図は企業の規模と収益力との関連性を示したものだが、業種や業態を問わず、規模が大きな企業ほど収益を伸ばし、逆に規模が小さくなるほど、同じように収益を伸ばしているが、それに対して中堅企業は収益が落ちていくという、最近の傾向が顕著にあらわれている。 一方で、企業の規模と、その企業の持つ専門知識とは、次のような関連性がある。企業の歴史の長さと社員の数とに応じて、専門知識はより多く蓄積されていく。逆に小規模の企業は、大企業にはない独自性や専門性を競争の武器とするため、専門知識を高めなければ生き残れない経営環境に身を置いている。それに対して、中堅企業では大企業ほどには専門知識は蓄積されておらず、また小規模の会社ほどには専門知識を高める必要性を感じない経営環境に身を置いているわけである。そして大企業と小規模の企業が収益を伸ばし、中堅企業が収益を落としているのを考え合わせれば、専門知識の質と量が、企業の収益を左右する重要な経営要素となっていることがわかるだろう。 専門知識を共有・活用するためのサポートツールとしてはマニュアルや、チェックリストがある。アメリカでは社内で活用している専門知識やノウハウをデータベース化するのが一般的となっており、そのためのデータベースソフトも種類が充実しているが、残念ながら日本ではソフトも足りないし、そもそもデータベース化しようと発想する企業が少ないのが実態だ。日本では、専門知識は個々の社員が自分の財産として抱えているものだとの意識がいまだに根強く残っていて、社内で共有すべきものであり、会社の財産であるという意識は希薄である。だから、社員が会社を辞めてしまうと、その人が修得していた知識やノウハウもまた、会社から流出してしまうことになる。これでは、会社のスリム化のために中間管理職を大量にリストラした揚げ句、たちまち業務に支障をきたしてしまうのは当然といえば当然である。 マネジメントモデルは、3層構造のピラミッドがきれいに形成されたものでなければならない。営業マンとして一流と認められていた人物が、会社が変わった途端、営業成績を極端なまでに落とし、力を十分に出せなくなることも、実際のビジネスの現場ではあるものだ。それは、いくらBOSの知識と専門知識を身につけた人物でも、情報伝達環境が整備されていない会社では、営業マンとしての力を十分に発揮することができないということの証明である。逆に、とかくコミュニケーションがうまくいかない会社から、コミュニケーションが円滑に行われている会社に移ることで、同じ人物が以前より格段に成績を挙げることもある。また、高いレベルの専門知識を備えた大学教授が、いくら自分の専門領域であろうと、何の経験もなくビジネスの現場に出て仕事を任されてもうまくいかないのは、BOSの知識を身につけていないためなのである。 |